群馬県立土屋文明記念文学館 群馬県立土屋文明記念文学館全景
Gunma Prefectural Museum of Literature in Commenmoration of Bunmei-Tsuchiya
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展示構成・資料概要




  ■展示構成

 T〈漱石山房〉の夏目漱石
  @朝日新聞社への入社
  A早稲田南町=漱石山房への転居
  B「漱石山房」の人びと
  C修善寺の大患以後
  D最晩年−絶筆『明暗』
 U自伝小説『道草』−半生をふりかえる
  @養子体験
  A子規との出会い
  B英文学教師として
  C『吾輩は猫である』
 V漱石山房の書画
 W群馬と漱石
  ・夏目漱石と群馬
  ・大塚保治
  ・大塚楠緒子



 
  ■主な展示資料

 観なければ味わえない、この迫力!


★「虞美人草」原稿

★「彼岸過迄」原稿

★「子規へ送りたる句稿」
(同い年の子規と漱石は第一高等学校在学中から親交を深め、生涯の友となった。子規が朱筆を加えている。)

★「あかざと黒猫図」
(”吾輩”のモデルとなった猫から数えて三代目とされる飼い猫。背景は漱石山房の庭。)

★「達磨渡江図」
(絵の出来に満足し書斎に飾っていたという。この絵について弟子の野上豊一郎から’一体先生は物の形はうまくありませんね’と言われた漱石は’おれの絵は形而上派だ”と反論。)

★「秋景山水図」
(漱石最晩年に描かれた山水画の代表作のひとつ。このころから画境は一段と円熟味を増してゆく。)

★「離縁後の一札」
(里子から生家に戻された後、一歳で名主・塩原昌之助の養子となるが、養父母の離婚で生家に戻る。復籍の際、養父の求めで「互に不実不人情に相成候はざる様致度存候也」と書かされた漱石自筆の証文。21年後にこれをたてに金を無心され、百円を支払い養父と絶縁。一札は漱石に返された。)

★「離縁証」
(百円の領収と絶縁を約束した証文。養父との紛争が決着し、兄や妻は安堵したが漱石には’片づいたのは上部丈ぢゃないか’(『道草』)との思いが残った。)

★大患後、妻鏡子に宛てた書簡
(”修善寺の大患”と称される臨死体験から脱した後、帰京して療養中の長与胃腸科病院から。)

★印章「漱石山房」、「漱石」、「破障子」ほか

★愛用の文具、万年筆、筆、文鎮など

★初版本

 ほかにも見どころいっぱい。
 
 
   

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